コーヒー文化の深掘り:日本と世界のコーヒー歴史

コーヒー文化の深掘り:日本と世界のコーヒー歴史

毎日欠かさず飲みながら、常にコーヒーの事を考えているわけですが、

シカゴクマ
シカゴクマ

コーヒーていつから飲まれてるんだろう?

コーヒーを飲む文化はどうやって始まったんだろう?

と考えたことはありませんか。

今では世界中で飲まれ、人々の眠気やストレスを吹っ飛ばしている コーヒーについて調べてみました。

この記事ではコーヒーについての知識を深堀し、皆さんのコーヒーライフの手助けになればと思います。

コーヒー起源とされる伝説

カルディの伝説

むかしむかしの話です。

ときは9世紀のエチオピア。

あるところにカルディという名の若い羊飼いがいました。

ある日、彼は羊たちが見知らぬ赤い実を食べた後、異常に活発になるのを見ました。

普段は穏やかな羊たちが、実を食べた後に跳ね回り、夜になっても眠らないのです。

この奇妙な光景に興味を持ったカルディは、自らもその実を試してみることにしました。

カルディがその実を口にしたとき、彼は羊たちと同じように元気になり、眠気が吹き飛んだことに気づきました。

この発見に興奮したカルディは、近くの修道院を訪れ、修道士たちにこの驚くべき赤い実の話をしました。

はじめ修道士たちはこの話を信じず、実を火に投げ入れてしまいました。

しかし、焼かれた実からは魅力的な香りが広がり、修道士たちはその香りに引き寄せられました。

彼らは焼けた実を回収し、水に浸して飲むことにしました。

その飲み物を試した修道士たちは、長時間の祈りでも眠気を感じなくなったことに驚きました。

この新たな発見が修道院内で広まり、やがてはエチオピア全土、そしてアラビア半島を経て世界中へと広がっていきました。

こうして、コーヒーは夜遅くまで目を覚ましておく必要がある人々にとって、重宝される飲み物となったのです。

これが一番有名なコーヒー発祥の話です。

コーヒーの起源と世界への広がり

アラビア半島:コーヒー文化の発展

コーヒーの知識はエチオピアからアラビア半島へと広がり、特にイエメンの港町モカがコーヒー貿易の中心地となりました。

ここでコーヒーは「カフワ」と呼ばれ、精神を活性化させる飲み物として広く受け入れられました。

モカからコーヒーはイスラム世界全体に広がり、コーヒーハウスが社会的、文化的な集会の場として登場しました。

ヨーロッパ:コーヒーの普及

16世紀になると、コーヒーはオスマン帝国を通じてヨーロッパに伝わりました。

最初は教会から懐疑的な目で見られましたが、やがてコーヒーはヨーロッパ全土で人気を博し、コーヒーハウスが文化的な交流の中心地となりました。

これらのコーヒーハウスは、「啓蒙のカフェ」とも呼ばれ、哲学者、作家、芸術家たちが集まり、議論を交わす場所となりました。

新世界への広がり

ヨーロッパの植民地主義の拡大とともに、コーヒー栽培は新世界にも広がりました。

ブラジル、コロンビア、アメリカなど、今日世界の主要なコーヒー生産地となる地域でコーヒーが栽培され始めました。

これにより、コーヒーは世界的な商品となり、国際貿易の重要な一部を形成するようになりました。

現代:グローバルな現象

今日、コーヒーは世界中で消費される最も人気のある飲み物の一つです。

スペシャルティコーヒーの台頭、サードウェーブコーヒー運動、さまざまな抽出方法の革新など、コーヒー文化は絶えず進化し続けています。

サードウェーブコーヒーとは
コーヒー文化の進化における第三の段階を指し、高品質なコーヒー豆の焙煎方法や抽出技術に重点を置く動きを表します。この流れから、自宅にいながら美味しいコーヒーを飲むことができるようになったと考えられます。

コーヒーは、単なるエネルギー源以上のものとして、世界中の人々の日常生活に根ざしています。

エチオピアの山々から始まったコーヒーの物語は、世界中のコーヒーハウス、キッチン、オフィスにまで及んでいます。

コーヒーはただの飲み物ではなく、世界をつなぐ文化となっています。

シカゴクマ
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こうしてコーヒーをきっかけに私と皆さんも、この記事を通してつながっています。

コーヒーと喫茶店文化の発展

喫茶店の誕生とその進化

世界最初のコーヒー店は15世紀後半にイエメンのスファラで開かれたとされています。そして、その後のコーヒー文化に大きな影響を与えたといわれているのが、カイロとトルコで開かれた喫茶店です。

15世紀末から16世紀初頭にかけて、カイロではコーヒーが宗教的な集会で使用されるようになり、その後すぐに市民生活の中に溶け込んでいきました。

カイロのコーヒー店は、社会的な交流の場として、また知識と文化の中心地として急速に人気を博しました。

カイロコーヒー店では、異なる社会階層の人々が集まり、意見を交わすことができる数少ない場所の一つでした。コーヒー文化だけでなく、公共の議論の場としての役割も果たしました。

トルコにおけるコーヒー文化は、特に16世紀にイスタンブールで開花しました。オスマン帝国の首都であるこの都市は、コーヒーハウスの文化を発展させる理想的な場所でした。イスタンブールのコーヒーハウスは、社交の場として、またチェスや詩の朗読、政治や商取引の議論の場として機能しました。

このように人が集まる場として喫茶店が機能し、それがきっかけとなりコーヒーもあらゆる社会階層の人々の間に広がっていったんですね。

フレンチプレスの誕生

19世紀フランス、名もないブリキ職人が偶然にも、コーヒーの抽出方法に一大革命をもたらす発明をしました。

この職人は、コーヒーの粉と熱い水をポットに入れて淹れた後、金属製の棒で押し下げることで、コーヒーの粉を液体から分離させる方法を思いつきました。

これが、現代で言う「フレンチプレス」または「プレス式コーヒーメーカー」の原型です。

思い付きとは思えない発明!

この名もないブリキ職人もいつもコーヒーのことを考えていたんでしょうね。

日本におけるコーヒー文化の導入と発展

日本への伝来

19世紀半ばのことでした。開国後、横浜を中心に外国人居留地が設けられ、そこを訪れた外国人によってコーヒーが持ち込まれました。

日本で最初のコーヒーショップは、東京の銀座に1888年(明治21年)に開かれた「可否茶館(カフェカン)」。これ以降、日本におけるカフェ文化が広がっていきます。

大正時代に入ると、日本のコーヒー文化はさらに発展を遂げます。

この時期には、「大正ロマン」と称される文化的なムーブメントがあり、西洋のライフスタイルやファッション、文学が流行しました。

これに伴い、コーヒーを楽しむ喫茶文化が花開き、喫茶店は文化的な交流の場として重要な役割を果たすようになりました。

戦後の広がり

経済の高度成長と共に、日本人の生活様式も大きく変化し、コーヒーはより身近な存在となりました。

1960年代から1970年代にかけて、喫茶店は若者の社会的な集会場所として人気を博し、独自のカルチャーを形成しました。

現代のコーヒー文化へ

21世紀に入ると、世界的なサードウェーブコーヒーの流れを受けて、日本国内でもコーヒーへの関心が高まりました。

このムーブメントは、コーヒーの生産から抽出方法、味わいまで、あらゆる面において品質にこだわるものです。

日本では、こうした高品質なコーヒーを提供するカフェが増加し、コーヒーを深く理解し、楽しむ文化が広がり今に至るというわけです。

まとめ

エチオピアの羊飼いから始まったコーヒーの物語でしたが、世界中のあらゆる文化に触れ、人類の広がりとともにコーヒーも世界中に広がりました。

修道士が眠気覚ましに飲み始めてから、今ではリラックスするために誰でもどこでも飲むことができる飲み物へと進化しました。

そして私たちはコーヒー愛好家は、日々どうやったら美味しいコーヒーを飲めるのかを考え、突き詰めていくのでしょう。

そして、その成果をこうしてアウトプットすることで新たなコーヒー文化誕生の芽が生まれているのかもしれません。次のムーブメントが生み出されてしまうかもしれません。

私はもともと歴史が好きな文系人間なもので、この記事は堅苦しい話ばかりになっていしましましたが、調べながら豆知識がどんどん増えていって、個人的にはとても楽しかったです。

こういったコーヒーの歴史を感じつつ、コーヒーライフを楽しんでいきましょう。

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